三国志DS3をプレイしてみる

三國志 DS3

三國志 DS3

一応、前提として、私が11(PK)までのシリーズを、抜けはあるが、プレイしていることを書いておく。

操作が予想以上に快適。もっともっさりしているかと思ったが、都市のデータを読み込むときに若干もたつく場合がある程度で、プレイには違和感が無い。

セーブが4つもあるので、通常のプレイをする分にはこれで足りる。

難易度はまだ全体を通してプレイしていないが、ある程度以上慣れないと、初級でも難しく感じるようだ。また、特技が強過ぎなくて、かえって魅力が増している。当然、優劣はあるが、じわじわと効いてくるタイプのものが多いため、出陣武将を考えるのが楽しい。

『英雄バトルロード』は出来が大変良いのだが、好き嫌いはわかれそうだ。シナリオだけじっくりやりたい人は、バトルロードのクリアを前提条件としたシナリオがあるのは、歯がゆい想いをすることになる。しかしながら、このモード自体はとても良いもので、成長要素がシナリオモードと不可分にならないよう、上手く作られている。ステージの難易度は総じて高め。今後のシリーズなどでも同系統のモードが欲しいぐらい。

今現在の評価としては、携帯ゲームとして以上に、三国志ゲームとしてよく出来ている、というもの。武将解説などは無いため*1、全く無知の状態では辛いかもしれないが、ゲームの完成度は高い。シヴィライゼーションなどは肌に合わず、こうしたものをちまちまやりたい方には、おすすめできると思う。

*1:武将解説は武将カードを取得後にオプションで閲覧できることが判明。

確かにピーターという呼び方は珍しい

ピーターの謎がわかった http://jjournal.jp/archives/532

ロータリー除雪機を「ピーター」と呼ぶのは上越地方だけ

というのをそもそも知らなかった。ピーターとは自分では呼ばないから。それにしても、技術提携先が影響していたんだなあ。そら誰も由来がわからんわ。

ところで歌手のピーターさんのことだと思ってここに来た人、ご期待に沿えずすみませんでした。

代表とは?

shima_ko国母選手の問題もそうだけど、日本人は「代表」という言葉の捉え方が、特にスポーツの世界では、特殊なのかもしれないなあ
shima_koこれって戦没者とかの「誰かを代表した結果そうなった人たち」についての価値観にも通じているように昔から思っている
shima_koよく「日本を背負って世界に行く」というが、実際は少し違うと思うんだ。「日本に代わって、人が日本という形を伴って世界に行く」と捉えているんじゃないか
shima_koつまり、代表とかじゃなく、もう日本そのものなんじゃないか。日本人にとっての「代表」は
shima_koこれは日本人が狭量というのではなく、それだけ人間の在り方の範囲が広いのだと思う。真面目に考えたら、一人の人間が全く国そのものと同価値になれるわけはないのだが、日本人はそう見てとれるのではないだろうか
shima_koただ、それに気付いていないで、「それが当然」となっていることに、問題の溝が深いことに通じる部分があるのではないか
shima_ko考えてみると、代表、というだけで、その分野のことに詳しくなくても、のめり込めるのは、日本人だけではない。ただ、日本の場合、これは愛国心とは別個のように思う。あらゆるものに日本的な部分を見出そうとする部分があるように感じる
shima_koというか、下手したら、日本的なものにすら限定されず、○○的なものを○○とみなす傾向があるのではないか。ラーメンは中華だし、ナポリタンはイタリアン、だけどサラダ巻きお前は駄目だ、と
shima_koだから、もしかしたら、「国母問題で彼を責めている人はもっとスポーツの世界のことを知ってほしい」というアプローチは、徒労に終わってしまうのではないだろうか? もっと効果的な働きかけはあるのではないか?
shima_ko国母選手がスノーボード選手だろうと相撲取りだろうと、代表であり自分の頭の中にある日本人のイメージと合致している時点で、彼は世界の日本人になってしまうのだ。これは恐ろしいことだ
shima_ko恐ろしいというのは、何も、いけない、という意味では無いので、あしからずなのですが、そうした観点を、どう明るい方向にもっていけばよいのだろうか?
shima_ko観点というより、見方だが、先ず、国母選手以外のスノーボード選手をもっと前面に出さないと駄目だろう。つまり、スポーツの世界ではなく、スポーツマンそのものを見せないといけない。日本人の代表、ではなく、日本人のスノーボード選手の代表、という風に無意識の段階で滑り込ませないとならない
shima_ko唇が滅びれば歯が寒い。国母選手に限らず、これからもこういうことはあるだろうから、もっと多くの人間を表に出して、啓蒙ではなく、見知ってもらうことから、始めないとならないのではないか。そんなことを考えさえられた

直江津の由来は直江氏という説の出典は何なのだろう?

直江氏が直江津の地名の由来、という説の出典に覚えがある方は、是非教えてください。フィクションの作品でも構いませんし、それが大本でなくても構いません。要はこの話で盛り上がりたいだけですね。別に「そんな説を流布する奴はけしからん!」とかいう話じゃないです。

shima_koなお、直江津の直江は別に直江氏が開いたこととは、関係があるようでない。室町以前には直江の津という記述が史料にあるからだ ( 2010-02-05 18:40:10 )
shima_koただし、何かの拍子に、直江氏が開いた津だから直江津という名前が定着したのかもしれず、一概に否定し切れるだけの知識は私にはない ( 2010-02-05 18:41:08 )
shima_ko佐渡金山の金、いわゆる御金荷は出雲崎から高田へと運ばれ、そこから北国街道で運んだため、直江津の発展とは関係が無い。直江津は物流の拠点であり、年貢米などもここから大阪へ海路で運び、そこから江戸へと渡っていたとされる ( 2010-02-05 18:45:29 )
shima_koなお直江津の歴史は、高田藩による交通整備、つまり軍道の管理の犠牲になり続けた歴史でもあり、現代になって荒川橋が自普請で建てられるなどの例を見るに、地元の人の想いは百年単位で凝固していったものと思われる ( 2010-02-05 18:46:38 )
shima_ko橋というのはそれだけで軍隊が移動できる重要拠点であるため、高田藩の居城から離れた直江津側に橋を通すことは、許されなかった ( 2010-02-05 18:48:06 )
shima_ko今では関川河口両岸には工業地帯、住宅地が並んでおり、時代の流れと共に、人の想いというものを感ぜずにはいられないが、ここには太平洋戦争中の捕虜収容所跡もある。私の恩師も、一度地元のラジオでこれについて触れていたが、人の想いというのは一か所に集まる性質があるのかもしれない ( 2010-02-05 18:50:10 )
historiae_sphe@shima_ko 直江津は中世に知られる港で、室町以前よりの地名です。一方、直江氏は長岡市与板を本拠とする農業基盤の在地領主であり、交易で勃興した一族ではないはず。と考えれば、直江氏と直江津はあまり関係がないと考えた方がいい気がします。 ( 2010-02-05 18:50:15 )
shima_ko@historiae_sphe ええ。名前の由来自体は大昔からのものということで間違いないというのは、私も同じ考えです。どのように地名が定着していったかという流れの中で、疑問を覚えた次第です ( 2010-02-05 18:52:33 )
shima_ko探してみたら、何気に新潟県のサイトに概略がきちんと書かれていた。結構なことだ http://2009influ.pref.niigata.lg.jp/gyoko/1260302690337.html ( 2010-02-05 18:53:47 )
shima_ko"直江津の地名由来については豪族直江氏からきたものとする説もある" やっぱりあることにはあるんですねえ。ただ、前述されている史料と違って、出典が書かれていない点は注意 ( 2010-02-05 18:55:08 )
shima_koこういう場合、それが嘘であることを声高に叫ぶよりも、そういう説が出てくる背景にどういう意識があったかというのを考えたいものだ、と常々思う ( 2010-02-05 18:56:13 )
shima_koとにもかくにも "明治初年の今町は九軒(きゅうけん)町、出村町を入れ計14町。明治11年(1878)今町を直江津に改称することが認可され、以後直江津を冠して呼ぶのが正称となった。" わけで、これが後には市となり、高田市と合併して上越市となり、その上越市市町村合併を経て、今に至る ( 2010-02-05 18:58:13 )
historiae_sphe@shima_ko ネット検索掛けると、某愛の人との関係を主張するものが多いですが、有名人に仮託したのでしょう。直江氏は戦国期まで小さい豪族でしたし、先程の理由からも考えにくい。その説から某愛の人への感情が読める、とも思ったが、大河町起こしのこじつけの可能性も…… ( 2010-02-05 19:05:29 )
shima_ko@historiae_sphe いや、天地人が流行る前からその手の話はあるんですよ。こじつけたとしたら、もっと前、それこそ昭和の中期ぐらいとかか、さもなきゃもっと前、戦前とかになってしまうかも ( 2010-02-05 19:10:02 )
historiae_sphe@shima_ko ならばやはりある程度、某愛の人は地元で一種の"英雄"として認識されていたようですね。だからこそ、語源譚として利用されるのでしょう。 ( 2010-02-05 20:00:19 )
shima_ko@historiae_sphe 兼継じゃなくて実綱もとい景綱の方ですけどね。地元で愛されてるのは ( 2010-02-05 22:30:29 )

パソコン版三国志11PK「南蛮征伐」における早解きについて

三国志11PK、超級「南蛮征伐」の要点は4つあります。

  1. 二年以内に南征を完了する
  2. 姜維を確保する(南征中に完了が目標)
  3. 司馬仲達を討ち取る
  4. 孔明が寿命を迎えるまでに孫呉に壊滅的な一撃を加える(陸孫を討ち取る、孫権を討ち取る等)

これらが全て完了すれば、完全攻略したと言っても過言ではありません。

とはいえ、史実だと一年足らずで南征は終了しますが、ゲームでは無理です。しかしながら、一か月以内に江州から先発することは可能で、CPUの特徴として領土内に一部隊でも敵が侵入すると全力で迎撃してくることから、これを利用して後続が追いつくまでに敵に戦闘準備を取らせずにおびき寄せることが可能です。兵舎などが建てられてからでは、兵士数や物資でCPUが優遇される超級の特性上、攻略は困難になります。

なおこの記事での設定では、女性武将を登場させていません。ですから、疾走や工神持ちがいる女性武将有りのプレイでは、もっと楽になります。

さて、ここで具体的な南征の進行方法について触れる前に、2について触れたいと思います。というのも、孔明が南征から戻るまで待っていると、天水にいる姜維が別の場所に異動させられてしまう恐れがあるためです。姜維の能力は抜群で、捕まえれば先ず間違いなく仲間にできる相性の良さもあって、多少の無理をするだけの価値はあります。

馬超はゲーム開始の翌年には寿命を迎えますが、馬岱を同部隊に配置すれば、さして気にする必要はありません。むしろ後ろに引っ込めておく方がもったいないです。騎馬、戟兵、弓兵の4000×3部隊でもって、天水を急襲、部隊を壊滅状態に追い込んでからの一騎打ちなりなんなりで、意地でも姜維を捕虜にします。

ここまで兵数を減らせば……。
ある程度つり合いが取れる相手なら一騎打ちを受けてくれます。この場合は馬岱に名乗らせています。見事成功。
実際はこのように馬超とやり合うハメになるため、姜維は地獄を見ます。逃がさないよう、最後は必殺や無双で一挙に決めましょう。

捕まえてしまえば、後は登用のコツさえわかっていれば簡単に登用が可能です。まあ、運が絡みますので、駄目なら駄目で諦めましょう。あんまりのんびりしてると、長安や上庸から攻められた際に対応できません。

1に話を戻します。南征において最も重要なのは、やはり人選でしょう。魏のことを考えると、孔明を南に行かせるのさえ、不安に思えるものです。しかしそんな常識的なことは言ってないで、孔明は南に向かわせた方が良いと考えます。

というのも、関索の疾走は確実な撹乱方法とはいえず、馬の数自体も少ないため、ごり押しはし辛いのです。李恢の機略があれば良いといえば良いのですが、撹乱は江州側でも行いますので、出来るだけそちらで用いたいものです。

個人的に一番の難点は、異動に消費される行動ポイントです。この南征は十日でも早く終了させたい所ですので、異動は最小限に留めなくては、準備が間に合いません。具体的には、永安から江州へ兵士・物資を輸送→広州から先発隊が出撃、余った兵士・物資を成都へ輸送→輸送が完了し次第、成都から後続部隊が出撃、という流れになります。成都では内政も急いで行う必要がありますから、行動ポイントは10どころか5でさえ貴重です。符節台が各所で建ってしまえば取り回しが楽になりますが、その頃には出撃が間近となっています。

以上、色々と難点を挙げましたが、これらを踏まえた上で人員を配置するのであれば、後は好みの問題、というのは頭に置いておいてください。

さあ、いよいよ南征の人選です。

少ないと思うかもしれませんが、行路の狭さを考えれば、これで十分です。兵糧はそれぞれ、250日〜300日分は欲しいです。場合によってはわざと敵の反撃を受けて兵糧の消費を調整することもありえます。まあ、ここまでの準備が出来る方なら、そこら辺の計算も出来ると思います。足りなければ輸送すれば良い、ぐらいの気持ちでいましょう。

ここからは、実際にやっていただければわかるのですが、魏延らが敵の領地に入った途端、これでもかと部隊が出てきます。永安から広州、成都へと回ってきた輸送を受け取り、孔明らが出発すると、ちょうど敵の後ろを通り過ぎることができるはずです。魏延らは毒沼の辺りまで行かず、細い道で陣と軍楽台を建て、誘い込みましょう。

趙雲の部隊の位置に注目。正に孔明の罠

また、この魏延らの迎撃に出た部隊は、兵糧が乏しく、魏延らに接触してすぐに兵糧切れを起こします。ですから、すぐには攻撃せず、撹乱で動きを止めるのが正解です。兵糧が完全に切れたところを攻撃すれば、効率良く撃滅できます。

孔明らはその間に建寧へ。1〜2部隊はそれでも迎撃に出てきますし、雲南からの増援も来ますから、数では圧倒的に不利です。しかし一番の敵は兵糧切れですので、的確に孔明の撹乱を用い、囲まれないように各個撃破に努めれば、じきに敵の方が息切れを起こします。魏延らもそう手間取りませんので、じきに追いついてこられます。

建寧さえ落としてしまえば、後は巡察と訓練をするだけして、さっさと雲南まで行きましょう。それを見越して輸送部隊を成都から出発させておくことも忘れてはなりません。この輸送の内訳は、攻城兵器一つと兵糧がメインとなります。武具については、よっぽど備えを怠っていなければ、当座の分は用意できているはずです。参考までに書いておくと、雲南建寧ほどの抵抗は受けません。兵舎を確実に破壊できるルートを取り、一挙に揉み潰しましょう。

この画像では8月になってしまっていますが、南蛮勢の登用後に撮影しているためです。出師の表イベントも終わり、いよいよ北伐へ。

3、4については、順次消化できるはずです。

ここまでが何度もこのシナリオを経験した上での意見ですが、こうも早解きにこだわるのは、それだけ戦略の幅が広がるからです。他のシナリオでは早かろうが遅かろうが、蜀漢のオールスターが揃っていますから、あまり実感は湧きませんが、このシナリオは違います。

少しでも皆さんがこのシナリオの面白さを堪能できるよう、祈っています。

三國志11 with パワーアップキット

三國志11 with パワーアップキット

ガタケット107

ガタケット107終了。一般参加でしたが、十分楽しめました。

会場外観

一応、参加しようと思い立ったのは、ある方にお礼を直接申し上げたかったから、というものだったのですが、二十歳の頃からガタケには足を運んでいませんでしたので、いざ調べてみたら、行きたいサークルさんが幾つか見つかり、純粋に楽しみに思うようになったり。

雑感を列挙しますと、

  • 人数は落ち着いた感じがある
  • サークル参加者の方々の年齢は規模と比べると幅があるように思う
  • 一般参加は若い方が目立った。中学生ぐらいの子がちらりほらり
  • ジャンルについては、どこも似たような傾向なのだろうが、馬鹿みたいに混んでいる、というのは無かった
  • 全体としては人の流れがよく分散していて、好感が持てた

サークルの方々とよく話せる雰囲気があって、とても好ましかったですね。私が立ち寄らせていただいたサークルの方々が熟練者だったというのもあるでしょう。それでも、意識して会場を回ってみると、そこかしこで微笑ましいやり取りがあって、歩いているだけで楽しかったです。

コスプレの方々の気合いは相変わらずで、コーヒー飲みながら行き過ぎる方々を見ているだけで、学生時代に戻ったような感慨を覚えましたね。

機会が無ければあまりこうした場に出ないようになってしまいましたが、会場の雰囲気こそ味わうようにしたいものです。

友人らと出かける用事が残っていたので、昼には会場を後にし、信濃シティの一階にあるロッソで食事。ここはイタリアンが食べたくて選んだのですが、味はもちろん、落ち着ける雰囲気で、とっても良かったです。個人でやってらっしゃる所なので、賑やかなレストランやカフェのような所が良い方には向かないかもしれませんが、今度からはおすすめのものを頼むつもりで、新潟市に行くことがあれば是非立ち寄ろうと思います。ごちそうさまでした。

服などは長岡市のリバーサイドなどに寄ってみたりしましたが、地元の専門店で足りる具合でしたので、収穫は無し。レディスばっかりなんだもんなあ。メンズがあっても、品数が少な過ぎて、選ぶに選べない。まあ、目的はそれではなかったので、拘らず、さっさと帰路につきました。二月は節約するつもりなので、天気や今後の予定などを見ながら、買い時を考えたいものです。

会場で手に取らせていただいた本については、ある程度読んでからにしたいと思います。らいおねるは運転お疲れ様。前日はスクート行ったそうなのに、よくやるもんです。

まんがタイムスペシャル3月号

ついに、安堂友子先生の連載が、「瞬け! シャイン」が、終わってしまわれた! この世は地獄だ! なんということだ! 単行本化希望も兼ねて編集部に手紙書くぞ俺は!