平和より自由より優しさより、新刊をくれ

私が最初に見たガンダムというと、たしか0083だったと思う。実家のケーブルテレビで見たはずだから、シリーズ展開の時期から考えて、Vガンダムの放送時期と被るか被らないかぐらいだったと思う。ざっと計算してみると当時の私は十歳前後だ。あまり厳密に物を分別できる時分ではないけれども、絵が綺麗だったのはよく覚えている。それを思い出してみれば、OVA作品というのに触れたのも、それが初めてだったかもしれない。

余談だが、親父が酔っぱらって何をどう間違えたか買ってきたアニメ版ドンドラキュラのビデオフィルムのことを思い出した。これはOVAではないものの、販売元だかの都合で放送打ち切り後、販売されたビデオに収録されたものがある。当時、一番上の姉貴でさえ十歳に届いていないのに、何を考えてあんなものを買ってきたのか(原作もそうだが、裸の女性を海岸で追いかけ回すなど、かなりエキセントリックな内容になっている)。

ここからは後年、つまりは現在の私が振り返っての話になるが、0083はポケットの中の戦争と同じくニュータイプ不在の物語で、08MS小隊もまた然りであり、どうもOVA作品はそういうものばかりらしい。いわゆる平成ガンダムもその傾向が認められるようだ。

そういった作品に親しんだ後にガンダムΖガンダム、ΖΖ、逆襲のシャアなどを見てみると(これまたケーブルテレビのおかげで全作品・全話を見ている)、ニュータイプがどれだけガンダムに食い込んだものかがようようわかり、っつーかもうこいつら何言ってるんだよとか思うことになる。

ニュータイプ同士の邂逅がどのような感情を彼らに引き起こすのか、なんてことを漠然と考えた時期を挟んで、理解し合いたいと叫ぼうにもそれを表現する言葉を知らない人々のジレンマみたいなものを垣間見たのは、ようやく最近になってからのことになる。そう考えたとき、アムロカミーユジュドーなどの理解しがたい言行が生々しく見られるようになってきた。

そういう時期にあってU.C.ガンダムを手に取って読めるのは、それなりに僥倖なのだとは思う。昔のものを読み返すよりも、ニュータイプだと定義されうる人物が新たな出て来る作品を読んだ方が、楽しめるはずだからだ。

小難しい話をさておいた場合、この作品はどうなるのだろう。

装丁については納得がいかないし、第四巻からは安彦良和氏の絵は表紙だけとなり(特装版だとそれすら無い)、その点でも不満が残るが、そういったことは私が語らなくても良いだろう。また何かと「大人のためのガンダム」みたいなフレーズで紹介されているが、どうも違う気がする。

さて、今巻において初めてニュータイプ同士の接触が詳細に描写される。そこに至るまでの狂乱が副題の『パラオ攻略戦』となる。ここにきて急速に赤々とした肉が付いてきた登場人物達も相まって、なるほどこれはガンダムだったのだなと思わせるだけの、一つの到達点を示している。逆に言えばこれまで私はガンダムらしさをこのシリーズから強烈には感じ取れなかったわけで、その点は留意した方が良いかもしれない。