「それで、この騒ぎの責任は誰が取るのですか」というのが一番気になる所ではあります

私は鳩山法相ではないので、あの方がどうしてああいう形で怒りを表明したか、またどうして怒ったのかはわかりません。なので、死刑執行について。

死刑になるのは死刑以外に相応しい刑罰が無かったからで、被害者遺族の方々からしてみれば「よくぞ死刑にしてくれた」といったところなのかもしれませんが、別にこういった方々のためだけに司法があるわけではありません。被害者のためにも、一般国民のためにも、また加害者のためにも、司法があります。彼らを死刑にするために、裁判によって決した死刑以外の刑罰を受けるようなことが万が一にも無いように、全力を注ぐのです。

被害者を悼み、遺族には同情と救いの手を差し伸べ、犯罪者を罰するのであれば、司法ができるのは最後の部分だけです。救済のための個別の法律を運用し、必要であれば作るというのなら、これは結構なことでしょう。

司法に携わる方の立場や責任、態度が、どのようなものであれば大多数にとって、あるいはある種の方々にとって好ましいのか私は知りませんが、死刑執行が職分なのであればそれを果たすのが当然で、思想的な問題は世論に、また活動によって是非が問われるのがよろしいように思えます。そうしている間にも死刑にされる方がいるのが嫌だ、可哀想、というのは我が儘で、諦めるか明日への糧にするのが良いでしょう。

私は、人は死刑で死のうが畳の上で大往生しようが人には変わらないと思っていますので、死刑よりも相応しいとされる刑罰が定められるのであれば、その運用を見守りたいと考えます。