派遣切りに象徴される諸問題についての認識

チャットなどでは結構好き勝手に言っている私ですが、一応の認識を列挙しておきます。言うまでもないことを含むので、実践的かつ具体的な施策の考察、見直しをしたい方は無視してください。

先ず大前提として、この経済状況は個人や個々の企業でどうにかなるものではない。当たり前だが、これをよくよく意識していないと、散発的な問題意識しか持てない。

個人が不安定の派遣労働の形態を選ぶということに、能力的なものはあまり影響していない。これは世代間に雇用状況に差があるため、ややもすると世代間格差、蔑視に繋がる。能力や学歴によって左右されるのは職業選択の幅であって、今に現出しているような格差ではない。

正社員と派遣社員の間には、雇用の不安定さにおいて、あまり差はない。解雇の優先順位が違うだけで、企業の体質に依存しているのは変わらない。個人をその成果のみで集団(を自称する者)が非難する形は、人格の否定に等しい。労働組合を実行力のある組織として育ててこられなかったことも重大だろう。政府にもだが、連合他の長年の運営にも疑問符を付けざるをえない。組織レベルでの成果の見直しこそを進めたい。

ただし、個人の判断力、派遣労働を選択した際に限定されるそれについては、多少の責めがあっても構わないとは思う。でなければ個人が実践できる教訓は得られない。しかし現在において、正社員として安泰(だと思っているだけの場合も多々あるのだが)と自負しているのは、大半が不況の中で安定した仕事を掴んだ、自分はそれだけの努力をしている、してきたという自信があるだけに、この手の問題に対しての神経が鈍い。個々の自省が作用しなければならないと考える。

反省や結束は日々を追われる労働者にはないがしろにされやすく、故にアキレス腱となる。一労働者に派遣労働者を救えなどとは言わないが、その解雇によって会社がどう推移するかぐらいは考え、自分の身の上の心配をするのは、当然の所作だ。大体からして、人件費の削減、それも派遣切りだけで会社を救えると思っている経営者がいたとしたら、それはもう乗り切れるかどうか怪しい。経営者がそれほど馬鹿とは思わない。

人の心配をしていられるほど甘い状況ではない。この程度の積極的な認識は、労働形態に問わず、欲しい。

以上。箇条書き也。