あそこには人がいたのです

昨日は上越市でも大雨が降った。神戸市では川の増水事故があり、四名が死亡と新聞などで報道されている。亡くなられた方々に哀悼の意を表したい。

私個人にも、増水事故の記憶がある。あれはたしか、私が小学四年のときだ。平成五年ぐらいの出来事ということになる。昨日のチャットでも触れさせてもらった。

関川(荒川)の支流へと学校外授業に出た際、ダムの放流に関する連絡が十全でなく、子どもら数人と教師が中州と化した場所に取り残された。現場には私の恩師もおり(というよか元々が私の担任という縁であり、社会科の教師でもあった。定年により退職)、率先して救助に当たっていた。

正確な情報は恩師に手紙で確認するか古い新聞を漁るしか確認できない点は留意してもらいたい。

さて、私は土手にいたのだが、あのときの増水の仕方はよく覚えている。比喩など無しに、あっという間に地形が変わる。あれはたしか関川中流よりも少し上流へ行った辺りだったと思うのだが、大体、川幅は三十から五十メートルといった所だろうか。

子どもの時分の記憶によっている上に現在では位置が特定できないために、少し広めに見積もっているかもしれない。それでも、周囲が混乱している僅かな間に大人でもロープ無しでは渡れない中州が形成されたことを考えると、一分当たりで数十センチは水位が上昇していただろう。神戸市の事故をニュース映像で見たが、あの水位の上昇は拙い記憶を呼び起こすのに十分な勢いがあった。

現場は川原が向こう岸へとせり出した地形で、その突端付近にいた数名が増水によって土手への退路を断たれた格好だ。どうも諸々から察するに、問題のダムは笹ヶ峰ダム(妙高)らしい。

その後は教師らが生徒をまとめている間に、消防隊が到着。救助に当たっている。死傷者は無し。

わりと大事だったと思うのにどうして忘れがちなのか考えてみたら、後に私のクラスでは未だに語りぐさになっているボイコット事件が発生しており、最終的に担任教師が責任を取らされている。この教師は恩師であるN教諭ではないのだが、あまり良い思い出ではない。

ボイコット事件の詳細はといえば、一部の女子生徒らが男子生徒らからイニシアティブを奪う形で授業放棄。教師の手に負えなくなり、全国規模で報道される段になって本格的に収拾が付かなくなった。ちなみに私は基本的に不登校で通していたため、変に客観的な立場を通せた。笑い話になってしまうものの、当時の私の感想は「学校に行ってなくて良かった」である。

一方、何故か私は、ちゃっかり教室に顔を出している。今から考えてもアホとしか思えないのだが、アホはアホなりに状況をよく覚えている。いつか本にでもまとめようと思っているが、今は力不足だ。不必要に人を傷付けるような文章を書いてしまうだろう。

いずれにしろ、自然も子どもも信用ならない所がある。逞しく生きているからだろう。ひ弱な物は信用を裏切ることすらできないのである。信用に使い減らされるか、信用する側に回るか、だ。そこいくと信用は自身の不足を誰かで補おうとして生じるのであって、なるほど、子どもでは無理だ。自然にそうさせるのは更に難しいだろう。