辛坊さん働き過ぎじゃねえか、が一番の感想ではある

討論番組というとぱっと思い付くのが朝まで生テレビ、もしくはシャベリバ、近頃だと爆笑問題関連の番組だろうか。

どれも好きではない、と、のっけから好みだけで断じるのもなんなのですが、順繰りにやらないとわけがわからんので(あなたが討論の是非について真剣に考える方法を探っているなら、このような日記を読まなくて良い)、僭越ながら述べさせてもらいました。

さて、そもそも番組で討論する意味が理解できなかった。国会や市議会の中継のように議事などをテレビ画面に映すというのなら、これは意義がある。また一方、密室での会議などといわれる割には未だに記者クラブは解散せず、言われた通りの場所だけ取材している。討論番組とかいうものの存在自体が娯楽だ。そうとすら思っていた。まあ今でもそういう気持ちはある。ただ、そこまで言って委員会を見ていて、わりと考え方が変わってきた。私が討論番組を気に食わなかった理由が、わかってきたような気がした。

一応注意しておくと、厳密にはそこまで言って委員会は討論番組とはいえない。討論番組について想起したという文脈で書いている。

そこまで言って委員会たかじんことやしきたかじん氏の番組だが、正直、ズームイン朝でお馴染みの辛坊治郎氏の方がよっぽど顔らしいことをしている。まあ、たかじんさんの名前を使うと何かと目立てるのはある。ここ笑う所。ここで笑うか泣くか屁ぇこくか、とにかく何かしらのことが頭を過ぎらない場合、そもそもたかじんさんのこと自体を全く知らないはずなので、この段落のことすっぱり忘れてよろしい。

話を戻した勢いでさっさと言ってしまうと、これまでの討論番組には(別に全ての番組、全ての討論を見たわけではないけれど)馴れ合いが足りなかった。

討論で馴れ合いなんて! と思う人はごもっともで、私もそう思うが、何せこれ、討論番組の話だ。時間がおしたなら編集すりゃええ、好きなだけ盛り上がればええ、とか思う人もいるだろうが、では編集した部分はどうなるのか。編集にだって限界があるし、ボロもある。番組である以上は時間の制約がある。

朝まで生テレビなんかは、そこらへんを「朝まで」ってことにしてとことん討論している風に見せているが、実際は「先生方が討論するとこんな具合になります」という空気を伝えているだけに過ぎない。正直、あの番組を見て何がわかるかというと「立場が人を作る」とかいう教訓ぐらいだ。家が隣同士でも党が違えば喧嘩になるのだった。あえて言っておくと、私はあの司会者が好きではない。これは完全に私の主観によってしか補填されないので、名前は検索除けのために伏せておく。

そこで馴れ合いに戻るが、別に「裏で金もらって」とか「実は仲が良いのに喧嘩口調」とかは、そりゃもう癒着や汚職の域で、これをやったら個人や番組どころかテレビ局ごと問題になる。そういう意味ではこの言葉を使っていないことに留意してもらいたい。

もっとわかりやすくと言うなら、ここで言う馴れ合いは「お互いの言うことをある程度は予測できる」、いわば気の置けない仲みたいなもんだと思ってもらって良い。これが討論番組でどのような効果を発揮するかといえば、場が紛糾したときだ。

そんなもん司会が掣肘、あるいは編集でどうにかできる範囲だろ、と思わないでもないが、そもそも討論しに来てるのだから、紛糾にもある程度は時間を割かないと意味がない。ただしこれは程度問題で、やり過ぎそうになったら司会が止めに入って進行に従わせないとおかしくなる。

これがそこまで言って委員会だと、怒る人は怒り、けしからん、黙れ、で終わる。小気味が良いだけでなく、討論の題目とのそれぞれの関係性がよくわかる。どういう立場の人がどのように考えているかということがそれなりにわかって(わかった気になってるだけかもしれないのは承知で)、とても興味深い番組になっている。討論番組である以上、その最終的な思考、熟慮、判断は視聴者に委ねられることになるわけで(そうでなくては意味がないと私は思っている)、全体を通しての問題提議ができている点から、私はそこまで言って委員会を高めに評価している。

朝まで生テレビ、引いては司会者を私が嫌いな理由はこの部分のやり方がちと変だからで(司会者が個人的な質問をするために全員を利用しているように受け取れる)、もしかしたら理に適ってる行為なのかもしれない。もしそういったことに詳しい方がいるなら注意を乞いたい。なおここまで朝まで生テレビを引き合いに出すのも、他の番組はもうそもそも討論だからどうこうじゃなく番組の主旨がおかしいからで、あんなのは中学生の生徒会役員会議でも中継した方がよっぽど良い。娯楽番組なのだから別に良いだろうと切り捨てるのは結構だけれど、それで済ませられるならそもそもこんな話はしていない。

ところで来週の放送で田母神氏が来るとかいう話が出ていたが、どうなるのだろうか。

blog的には最後の最後が一番大事だったような気がする今日この頃。

ここで、()が多くて読みづらい、理解しづらい文面となったことについて謝っておきます。まとめようとするとかえってつまらなくなるとの判断でした。