『本日の運動会は雨のため体育館で行います』

晴れちゃったよ!

と、これは甥っ子の運動会のお話。私はお袋に頼まれて、姉貴の嫁ぎ先がある板倉まで、車を走らせることに。

小学校中学校なら多少の障害があろうと強行したんでしょうけど、保育園ですからね。致し方ない。この写真は、あんまり保護者が多いもので、私だけ先に外に出たときに、撮影したもの。この後、一時間ほどして、また降り始めた。

姉貴については何度か触れたけれど、嫁ぎ先の旦那さんは、一人の人間として尊敬に足る。

我が家で両親の不和が続いて、もう駄目だというとき、一人で談判に来て、これ以上の混乱が無いよう「お義母さん、――お義父さんと別れてください」と言い切って、形容を改めた。尋常な覚悟では、口端に上らせることもできそうにない、内容だった。

補足しておくと、当時の父は最低の次元にまで落ちぶれていて、酒の臭いがしないときはなかったし、真っ直ぐな人を見ると恨み言を述べ、曲がった人を見れば歓ぶという、どうしようもない状態だった。あれは、人ではない。

さて、義兄の談判そのものが決定打になったわけではなかったが(そうであるべきだと私も思う。正しい言でも、容れる時期を間違えれば、禍根を残す)、その度胸と深慮は、私を感動させたし、母を安心させたのも確かだった。この人がいれば、姉貴に心配は無いのだった。母は、後に、離婚した。

その子どもが、私の甥に当たる。彼は中越地震があった年、私の両親が離婚した年に、生まれたのだった。親友も失っている。あの年のことは、死ぬまで忘れそうにない。