目は明く

System of a Downの驚異的モンタージュ作品「FOREST」 | RockMusicFan.net http://www.rockmusicfan.net/archives/2770

System of a downが凄かったのは、ダロン・マラキアンを始めとするメンバーのカリスマ性もそうだけれど、いったい世の中には、こういう音楽があるのか、こういうロックがあるのだ、と、驚かされたことに尽きる。

大げさな話に聞こえるかもしれないが、私が大人になったと実感したのは、S.O.A.D.の音楽を聴いた、その瞬間からだった。言いたいこと、やりたいこと、見たもの、見てないもの、全部が、あそこに詰まっていた。それからの数年間、私は熱狂したし、このバンドのために何かを投げ出すこともできない微力な自分に、悔しい思いもした。

歌詞の裏をかけばいくらでもかけるのに、音楽を聴いてしまえば、そうした理屈とは別の、素晴らしさがある。それが音楽の凄い所だと教えてくれたのも彼らだったわけだ。

もちろん、全ての人がそう受け取れるわけではないし、現在進行形の熱狂に代われるものは無い。でも、こんなことでも書きたくなるぐらいに、この映像には、パワーがある。ありがとう、と叫びたいぐらいの。

システム・オブ・ア・ダウン

システム・オブ・ア・ダウン

トギスィックシティ

トギスィックシティ

twitter雑感

twitterを使い始めて2ヶ月が経ったのだが、ある場所で目にした、「チャット状態になるのは良くない」という言葉の意味がわかってきた。

つまり、RTや@ばかりをしていると、その人との繋がりはあっても、tweet独特の「これは私にも当てはまるな」「そのつぶやき、私は良いと思う」という意識が削がれかねない。自分で使っていて、覚えがあった。

一方で、tweet自体の方向性を限定することもないわけで、ここら辺のバランスは、自分がどういうtweetをする人をフォローしていくか、という部分でコントロールしていくしかなさそうだし、それがtwitterの良い所のように思えてきた。

ハッシュタグの使い方は勉強中だけれど、英語圏の人達の使い方は参考になる。もっと積極的に英文を取り入れる手法が日本語環境下であっても、良い様に思う。

skypeへの移行

ここのところ、skypeの便利さを思い知ったことで、真剣にwindows live messenger(以下WLM)からの移行を行っています。一部では多少うざったらしいぐらいに移行を呼びかけていますが、ご理解くださると助かります。

サーバーとP2Pの比較をここでするのはどうかと思いますので、WLMと比べて、グループチャット機能の扱いやすいことを挙げたいと思います。

私はここら辺を勘違いしていて「通話機能以外はどうせ大したこと無い。面倒くさそうだし、今のまま(WLM)で良い」という考えでした。これが実際に使ってみると、余計な機能はついておらず、手探りでも十分に扱えるようになっていました。

一応、他のツールも継続しますが、これからメインはskypeにしたいと思います。

なお、私のメアドで検索すれば追加できるはずですので、気軽にどうぞ。

仕事上がりの散歩より

出先から帰りがけに、撮影。ここに載せた倍は撮影したものの、あまりに墓が詳細に映っていたり、憚りがあると思われるものは、省きました。



ついでに、先日撮影した、関川の写真も載せておきます。凡そ一週間前のものですが、寺町のものと比べると、一挙に冬らしくなってきた感があります。

サイトの移転準備を、終えて

サイトが遊び場。そういうときが、確かにあった。

私がサイト製作をするようになったのは、ADSLが申し込めるようになった、十年前のこと。書いてみて、まだ十年しか経っていないことに気付かされるが、ネットの変わり様には驚かされる。かつての十年と今の十年では時間の早さが全く違う、とある技術者は言っていたが、まったくだった。

私は工業高校の生徒だったから、授業としても教わった。社会に出てからは、会社のものをいじったりもした。しかし今は、サイトで何をしたいかが大事で、サイト自体の追求は、限界に来ている。技術者ならともかく、それ以外の人にとっては、あまりにも環境が整備されてしまった。しかし、これをいわゆるWeb2.0などと思うのは、錯覚だったし、現実には、技術を解さずにネットに触れられるようになっただけのことだった。

車などにも言えたことだけれど、一度でも楽な付き合い方を見つけてしまうと、それまでの自分が馬鹿らしく思えるぐらい、まったく、楽になる。一方で、そうしなければ自分を新たにできない、という、切迫したものもそこにはあるように、感じられる。

『楽』は、木の台に載せられた太鼓の一種を、表すという。

光線

浄興寺本山の立地は寺町の中でも特に良く、お東さんこと東本願寺の別院と並んで、人足が絶えない。

実はたまにここはジャズパーティなんぞ開いたりもしており、時々によって表情が全く異なる。

ところで、光線というと、黄泉で、鄭の荘公と母・武姜(この時代の女性は、後ろの部分である姜が姓に当たる)の話を思い出すが、穴というと、北陸新幹線のトンネルを思い出す。

開通以降、来年以降のことを頭に過ぎらせながら、撮影。